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思い出の白秋/藤田圭雄

(OMだより43号:平成4年発行より掲載)

 北原白秋は1942年11月2日阿佐ヶ谷の自邸で57歳の生涯を終えました。 今年は死後50年(編注:この文章の初出は1992年11月15日です。)の忌日を迎えます。
「明治以来、日本は多くの詩人を生んだけれども、その事業の広汎に渡り、韻文学の全野を開拓して、 不世出の天才を発揮した詩人は、北原白秋の外にない。」と、これも天才の萩原朔太郎が 絶賛している大詩人白秋が、50の半ばで死んでいるというのは信じられないようだけれど事実です。
昨年、岩波版の40巻の全集が完成しました。この10月19日には私たちも「思い出の白秋」と 題して、詩語50年の追悼コンサートを催しました。

 童謡の世界でも、白秋ほどの偉大な存在はありません。1918年7月「赤い鳥」創刊以来、 死の直前まで白秋は童謡を作りつづけ、そのカズは1300篇を越しています。そして その三分の一に中たる400篇には曲が付いています。しかも一つの童謡に5人も6人もの 作曲があるので、歌曲としての童謡は600曲を越します。
「こんこん小山の」には7曲、「ちんちん千鳥」と「涼風小風」には6曲ずつといった具合で、 世界中にこんなに多くの音楽家に愛され慕われた詩人は外にはないでしょう。

 白秋と作曲家との交友についてはいろいろおもしろい話もありますが、ここでは一つ めずらしい例をご紹介しましょう。1919年7月号の「赤い鳥」に、「犬のお芝居」という 白秋の童謡が載っています。10月号に成田為三が作曲しています。しかし白秋は自分の 童謡が気に入らなかったのか、成田の曲に合わせて「ちんころ兵隊」という新しい童謡を作り、 それを11月号に載せています。そして通信欄に「先月成田さんから作曲していただきました 『犬のお芝居』は私自身の原作にあきたらぬ点がありましたので、新しくこの一篇を代わりに お目にかけます」ということわり書きが出ています。ところが1921年11月号の「赤い鳥」 には草川信が、この「ちんころ兵隊」に別の新しい曲をつけています。この外、「ちんころ兵隊」 には弘田龍太郎の曲がありますし、「犬のお芝居」には山田耕筰も作曲しています。歌詞が二つで メロディーが四つもあるわけです。二つの童謡の一連目だけをご紹介しますと、

犬のお芝居
 ちゃっぽんちゃっぽん、ちゃっぽんぽん、
 ちちんがちりちり、ちゃっぽんぽん、
 小犬がひょこひょこ立って出た、
 緋染めの手拭い、頬かむり。

ちんころ兵隊
 ちんころ、ちんころ、ちりちりちん。
 ちりちりちんころ、ちりちりちん。
 ちんころ兵隊、喇叭卒、
 てとてと、鉄砲も肩にかけ。

というのです。

 童謡を書きはじめた頃白秋は、「新しい童謡は根本を 在来の日本の童謡に置く」と言って、新しいわらべうたを 作り出す気構えでいました。だから自分の作る童謡も 特に作曲してもらわなくとも、子供の自然の歌声に まかせた方がいいなどともいっています。しかし 山田耕筰をはじめとする世界に誇る童謡の数々が生まれ、 1935年には生誕50年記念として日本の楽壇をあげての 大コンサートが催されました。白秋童謡は童謡の古典として いつまでも歌い継がれていくでしょう。