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これからの童謡運動/藤田圭雄・その4

(童謡の風・3号:平成8年発行より掲載)

 ましてや、「いかにいます」とか、「つつがなしや」とか、「ともがき」などは、 いくらカナで書いてみても、子どもだけでなく大人でもそれを理解する人は少ない。

 「赤蜻蛉」の方も、「オワレテミタ」というのを「負われて見た」と正しく 解ってくれる人は少ないし「コカゴニツンダワ」というのもはっきり理解してくれない のではないか。

 歌には歌詞がある。歌詞には意味がある。意味のわからないものをしんみりと うたっていい気持ちでいるのはおかしい。しかしそうかといって「イカニイマス チチハハ」 という部分を「どうしていますか パパママ」と口語体に直してみても、それでは この歌の品格が全くなくなってしまう。やっぱり「ツツガナシ」は「恙無し」だし「トモガキ」 は「友垣」だ。

 しかしこの歌を楽しくうたう人々は、「コカゴニツンダワ マボロシカ」とか、 「ツツナガシヤ トモガキ」も、大体どんな意味かわかっているようだ。

 それでよいのかもしれぬ。なにもかもすっかりよくわかる必要はないのかもしれぬ。

 ドイツ語がわからずにリードをうたい、フランス語を知らずにシャンソンをうたい、 イターリー語を知らずにカンツォーネを気分よくうたうのだ。うさぎが「おいしい」 位はなんでもないだろう。

 私は今、ここでは、歌詩の意味のよくわからない唱歌が愛唱されることの不思議を 問題にした。しかしそれは明治以降うたい継がれて来た唱歌というものの特殊の性格 として一応そのままで止むを得まいと思う。それよりも今日、新しく作られている 「童謡」があんまり発展がなく、同曲異工、あまりおもしろくないものが多く、 目立った変化のないところに問題がありはしまいか。もっと新鮮なピチピチした 作品が生まれて来るのを期待したい。そうした明るい変化が童謡に新しさを 招き入れる方途であろう。