コラムタイトル



・かあさんのうた

作詞・作曲 窪田聡(くぼたさとし)
昭和31(1965)年2月
『窪田聡作品集(一)』昭和33.12収録

 「かあさんのうた」は戦後の「うたごえ運動」の輪から広がり やがて、ダークダックス、ペギー葉山が取り上げ、歌うようになり 全国的に広まったということです。
 また、NHKの「みんなの歌」でも取り上げられています。
 楽曲に関しては、原曲は、ロシア民謡の「荷揚げ人夫の歌」で あると記してある本もあります。

 「うたごえ運動」は昭和25年前後から全国的に行なわれるように なった、民主運動のひとつのようです。その後、時代背景として、 60年安保闘争などがあり、今でも、全国でその活動が行なわれている ようです。
 「うたごえ運動」に関しては、下記サイトに詳しくありますので ご参照ください。
日本のうたごえ全国協議会

 曲の、発表当初は、劇団「わらび座」の公演を通して。 東北地方中心にまず火がついたようです。
参考:わらび座

 「うたごえ喫茶」でも良く歌われましたが、「うたごえ喫茶」 自体は、本来「うたごえ運動」に直結するものではなく、「うたごえ運動」 で歌われている歌を始めとして、流行歌なども歌われていました。

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 窪田聡氏は、昭和10年、東京の下町(現墨田区京島)に五人兄弟の四男として 生まれたそうです。戦中は、父親の実家の上水内郡信州新町で疎開生活を送り、 その疎開先で、叔父が土間で藁うち仕事をし、祖母が麻糸を紡いでいた様子を 目にしていたようです。この時の情景が、のちの「かあさんの歌」の詩へと 重なっているのでしょうか。
 また、この縁から、長野県の信州新町には歌碑が立てられています。

 昭和29年、開成高校卒業後、大学に合格したにも関わらず、家出。 4月から中央合唱団研究生20期に入学。しかし、彼の居所を探し当てた 母親からは、幾度となく差し入れがあったようです。

 昭和31年には、埼玉県南合唱団を組織、指揮者、事務局長として、 埼玉うたごえ運動に従事。「働くものの音楽」というジャンルで 作詞・作曲活動を始めた彼は、2月に「かあさんのうた」を 発表します。
 その後は、日本音楽協議会を拠点に音楽運動を展開。

日本音楽協議会のサイトでは、窪田聡氏の曲がいくつか紹介されています。
日本音楽協議会

 現在は、岡山県牛窓町に在住で、音楽活動を続けられているようです。
牛窓においても、<産廃処分場を考えるつどい>などで、社会運動も続けて いるようです。
参考:牛窓の海を守って

参考図書:下記書籍に、「かあさんのうた」に関する読み物があります。
・唱歌・童謡ものがたり 読売新聞文化部
・NHK日本のうた ふるさとのうた100曲 講談社


文責:Doyo-net
きまきまのまるうく